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2007'05.07 (Mon)

次。

昨日、BS2で深夜にやっているアクターズスクール?のインタビュー番組を観ました。演劇学校の生徒さんを前に、毎回豪華なゲストを招いて一問一答していくというスタイルで、やっていれば必ず観る好きな番組です(でもタイトル覚えてない^^;)
昨日のゲストはヒュー・グラントでした。

お見事でした。
司会者の質問すべてに「イギリス人らしく」ギャグで応えるヒュー。
アメリカ人の想像するイギリス人、を見事に演じてました。
彼には「オクスフォード出」で「美男子」という大変なハンデ(笑)があり、それを克服するためにあのいい加減な態度振る舞いを身に付けたようです。

ほとんどすべての質問をはぐらかしてしまうのですが、いくつか「本音かな」というのがありました。
ひとつは、「フォー・ウェディングス」が役者人生のターニングポイントだったということ。(良い映画でしたね!)「フォー・ウェディングス」の前と後では仕事を選ぶ基準が変わった、と言いつつ「前」も「後」も全く同じことを答えたんですが、そうは言ってもやっぱりそこはそうなんだと思います。

もうひとつは、学生からの質問。それまでのインタヴューの中でヒューはたびたび「演じるのは拷問」「カメラがなければうまくやれるんだ」「役者人生は厭」などと発言して来たんですが、それについて「じゃあ、どうして役者を続けているんですか?」と訊かれ、ヒューは「上手く出来ないから、次こそはもっとうまくやろうと思って」と答えました。「カメラの前で最高の演技が出来たら、もう辞める」とも。

現状に満足してしまったら終わりです。彼はきっと一生役者を続けるでしょうね。

いつだって「次」が最高なんです。
「次」があるということのあり難さ。「次」がある限りがんばろうと思います。







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2007'02.20 (Tue)

10年前の自分からの贈り物。

郵貯から定額貯金の満期のお知らせが来ました。自分でも忘れていたささやかな額なのですが、10年前に定額にしたらしいのです。

10年前といえば1997年。たぶんどん底だった時期です。大病をしたあと何をする気力もなくなり、ワープロに触らなくなって数年経ってました。もちろん働いていなかったので、ささやかな額とはいえ当時のわたしには大金だったはずです。なんで定額にするお金があったんだろう……とよく考えてみたら、英会話学校の論文公募で入選したのがたぶんその年でした。賞金は4万か5万円だったはずだからそれに少しへそくりを足して貯金したようです。でも、使わずに定額にしたのは何故だったのか。

改めて投稿歴を見なおしてみると、98年頃から小さい賞で選外佳作になったり、旅行記やエッセイで入賞するようになっています。それらを合わせて考えると、私にとって97年は底を打って再スタートした年だったんじゃないでしょうか。でも先の見通しは何もなかったからこのお金は取っておこうと思ったんでしょう。その後2001年に商業誌デビューし、最初の貯金のことは忘れていました。

10年前の自分に感謝しつつ使い道を考えています。第一候補は5年物のインクジェットプリンタを複合機に買い換えることですね(笑)それと出来れば80Gの外付けハードディスクが欲しい……。
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2006'08.29 (Tue)

ファンタジーの尺度

『ライトなファンタジーって』の続きです。こちらのうさぎ屋本舗さんの記事が元ネタ

http://usagiya.cside2.com/notes/rnote.php?u=books/10wa/4004310202.htm

ファンタジーに分かり易い尺度がないということには同意できます。作品の本質や面白さは別として、そのジャンルとしての尺度というものがファンタジーにはないのです。SFやミステリーでは分かり易い尺度があります。SFにおけるサイエンスは疑似サイエンスではあるけれども、作品内でテクノロジーの統一がとれている、ということはひとつの条件です。太陽系をロケットエンジンで旅するのは構わない。でも、その人達がアンドロメダまで(ロケットエンジンで)行ったりすれば、「SFでない」と言われてしまうわけで。
ミステリにおいては、読者に提示されない証拠物件を使って犯人を特定したりしてはいけない、という暗黙のルールがありますよね。いわゆる「フェア」な態度です。もちろん、わざとミスディレクトすることは当然というか、話を面白くするためにどんどんやるべきですが、読者に対し予め伏線は提示されていなければならないわけです。最終章で初めて登場する人物が犯人だったりしたら、読者は壁に本を投げつけますよね。

ファンタジーにはそういう線引きがない。だから、一見何でもアリのように見える。
でも、本当に何でもありなのでしょうか? 

ファンタジーにおいては個々の作品の中での「ファンタジーの性質と度合い」が一定である、ということが一つの尺度足り得るのではないかと思うのです。

ファンタジーの世界では例えば花から妖精が生まれたり、本から怪物が出てきたりしてもオーケーです。ただし、花から妖精が生まれ、本から怪物が出てくる「世界」であることが読者に対して提示されなければフェアではない。この説明は合理的でなくても構わない点がSFとファンタジーの異なる点ですが、それでも説明は必要です。書き手と読み手との間に共通幻想を築くためにファンタジーの尺度というものが必要なのです。

そして、一つの作品の中でこの尺度が変化すると問題が起きます。書き手が脳内で紡ぎ、言語によって表現した幻想を読み手の側はそれを文章の形で受け取り、それぞれの想像力を駆使してその幻想を脳内に再現します。その大元たる幻想コードが途中で変えられると、読み手の再現コードが狂ってしまうのです。このとき書き手と読み手は並んだ二つの音叉のようなもので、同じ幻想を共有するためには途中で音叉の材質を変えてはいけないのです。

それからもう一つ言えることは、ファンタジーは基本的に「過去を向いている」ものだということです。(もちろんそうでない作品もあります。すべてのSFが未来を向いているわけではないのと同様に)読者が頭の中で幻想を再現するよすがとなるものは、過去に多くを負っているということです。過去の幻想は現在の書き手によって選び取られ、提示され、読み手のイメージを喚起しますが、この過去に由来するイメージにぶれが生じる場合があります。受け取る側が「これは違う」と思ってしまうようなことです。

それは、繰り返し書き写されることで元のイメージがどんなものだったのか曖昧になることに一つの原因があると思います。絵画の世界ではこれを粉本主義と呼びます。粉本とはお手本のこと。江戸時代には先生のお手本を見て描くことがよしとされたのですが、それが何代にもわたて繰り返された結果、江戸後期には何だかヘンな動植物が描かれるようになりました。いわば絵画の伝言ゲームです。虎や象は見た事がなくても、丹頂鶴ならまだそのへんにいたはずなんですが……。

自戒を込めて言いますが、元が何だったのか知らずに使うことはそんな風に危険なことなのです。また無自覚に複数の文化圏のものを混ぜることにも注意が必要です。これも元が何だったのか曖昧になっていると起きやすいことですが、それが読み手に違和感を引き起こし、幻想を紡ぐ妨げになるからです。ただし、自覚的にやるなら話はまた別で、それによって新しい面白さを引き出せれば書き手の勝ちなのですが。

ファンタジーというものは書き手の幻想を読み手が共有することによって成立する共有幻想です。書き手から送られるイメージが確実に読み手に伝わるには共通の基本となる「ファンタジーの元素」みたいなものが必要なのです。たとえば、「竜」という元素。これは確固たるイメージを喚起しますね。多くの読み手に共通認識が成立しているからです。しかし、基盤となるイメージがあやふやだと、読み手は混乱してしまいます。共通の言語と元素がなければファンタジーは成り立たないのです。

作品の善し悪しは読み手が決めることです。面白いファンタジーが良いファンタジーだ、とも言えるでしょう。ただ、「ファンタジー度」はこういったことで判別出来ると思います。作品内で統一幻想が保たれていること。使われる「ファンタジー元素」が吟味されていること。そんなところではないでしょうか。

やたら長い上に妙に理屈っぽくて済みません……(^_^;) なにせ理理なので……。
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2006'08.18 (Fri)

あとがきって。

今度出る本は私の6冊目の本なので、あとがきを書いて発送するのはこれで6回目。いい加減慣れろと思うのですが、慣れませんね〜。最初の本(ラノンの一巻)のとき、ページ割の都合であとがきが6ページもあって、いったいどうやって埋めたらいいのか四苦八苦でした。登場妖精の解説なんか書いちゃいました。四苦八苦したあげく書きすぎ感ありありです。今回は3ページなので短くさっくり……と、思ったのですが余りが2行しか出ませんでした……。いえ、あとがきの最後のページは結句とご挨拶とアドレスくらいが書いてあって、あとは白い余白があるのが美しい「間」だと思うんですけれども、なぜかギリギリまで書いてしまうんです。四苦八苦なのに。それも内容の説明とかね〜〜あとがきで説明しなきゃならないのって、本当はダメダメだと思うんですよね〜〜あう。

ところで、あとがきを先に読むヒトはどれくらいいるんでしょうか。私は、割と先に読んじゃうんです。だからあんまりネタバレを書くのも問題かと思うんですが、あとがきでどんな内容か推測して買う方も存在すると思うので、そのへんのさじ加減が難しいです。ま〜そんなこんなをぐるぐる考えたあげく、最終行の2行前まで書いてしまうわけです。実を言うと、今回2行前で収まったのはブログのアドレスを外してホームページのアドレスだけにしたからだったり……(^_^;)
19:03  |  ひとりごと  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2006'05.21 (Sun)

黒いマリア。

きのう、例の世界的大ベストセラーの映画にあちこちの局がぶつけてきていた特集番組をぼんやり見ていたのですが、終わりの方になってサントマリー・ド・ラ・メールの黒マリアのサラが出てきたあたりであれ? と思いました。番組の説明ではサラとは王女の意味であり、黒いのは追放された王家、の意味で、祭礼の日にはヨーロッパ中から巡礼が集まる……ということでした。しかし、その巡礼たちがロマであることには触れませんでした。ロマとは昔でいうジプシーのこと。中世にはエジプト出身と考えられ、そのためジプシーと呼ばれたのですが、現在では彼らはインドの出身だということが判っています。そしてサントマリー・ド・ラ・メールの黒マリア、サラはインドの女神サラスヴァティーであるという説もあるのです。また、黒マリア自体、ケルトの地母神であるという説が有名なのでそちらをご存知の方も多いと思います。黒マリアにまつわる特徴的な伝承は「地中から発見され、教会に祭られたが像が勝手に歩き出して元の場所に帰ってしまった、仕方なくその場所に祠を建てた」というものです。

まあ、どんな仮説にも反対仮説といのは存在するのでいちいち取り上げていたら切りがないのは判りますが。

ところでサントマリー・ド・ラ・メールですが、祭礼の日に訪れたことがあります。練り歩くサラの像も見ました。カマルグの白い馬に先導され静々と海岸へと進むサラ像はとても印象的でした。そして行列に従うロマの子供たちの黒い瞳もまた印象的でした。よく物語の中でジプシー娘の美しさについて述べられていますが、ロマの美しさは独特ですね。インド的といえばそうなのかも知れません……。

祭礼の写真は大分撮ったと思うのですがどこに行ったかな……見つけたらアップしますね(^_^;)
サントマリーの祭礼は毎年5月25日を挟んだ三日間で、実を言うとその日私は誕生日でした。もう大変な人出で、途中私たちのツアー一行は迷子のお婆さん(オランダ人。ツアー名、ホテル名覚えておらず、言葉も出来ず……)を拾うというハプニングもあり、そんなわけでサントマリーはいろいろ思い出深い土地なのです。
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2006'05.03 (Wed)

眼と手。

昔、絵を描く学校に行ってました。当然のことながら周囲の人はみんな上手い。自分のはへたくそ。見れば見るほど下手なのでうんざりしてきます。そんなこんなで、絵を描くことをすっぱりやめてしまったのです。
絵画の世界では、眼と手で見る眼の方が描く手よりも早く育ちます。だから自分の「手」のあらばかりが見えて厭になってしまうのですが。

いま、描くじゃなく書く人間になって、周囲を見ると他のひとはやっぱり上手く見えます。あの人は内面描写が、あの人はキャラクター造形が、あの人はストーリー展開が、あの人はアイディアが、あの人は構成が、上手い。面白い。振り返ってわたしのは? 良いとこはちょっぴりです。落ち込みます。

でも。よくよく考えてみると、一人対たくさん、で考えていたんですよね。私は一人しかいないわけですから。反対に、一人しかいない私にしか出来ないことって何だろう、と考えてみるわけです。ちょっぴりですが、でも少しはあるでしょう。
その少しをちょっとずつやっていく、しかないわけですよね。カタツムリのように遅くても、後ろから抜かれても、ちょっとずつその道を行く。カタツムリだって気づいてみればいつの間にか前に進んでいるのですからね。焦っても仕方がないな〜と思うわけです……。

世間様のゴールデンウィークに仕事しながらそんなことをふと考えました。大型連休、うちは平常心です……。
19:07  |  ひとりごと  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2006'02.14 (Tue)

母からの電話。

小説ウィングス50号を買ったそうです。私が書いてる号は必ず買うそうで、ありがたいのですが、活字なら何でも読む大食らいのくせに好みがうるさいため、ツッコミが鋭くて……
「一話にネタつめこみすぎよ!」

ああ〜いろいろその辺はオトナの事情が〜〜読み切り連載の第一話目なので華やかにいこうってことで〜〜。それに私の場合、濃すぎて怒る読者さんより薄くて怒る読者さんの方が多いんじゃないかと…………思うんですが…………。

2話目も濃いですよ……。明日辺り担当さんのツッコミが来そうで怖いです……。

20:02  |  ひとりごと  |  TB(0)  |  CM(6)  |  EDIT  |  Top↑

2005'12.24 (Sat)

ネット書評とネタバレ。

ネットとネタバレ。
「まいじゃー分室」で見つけた話題です↓
http://d.hatena.ne.jp/tonbo/20051222

ネットにおける書評・感想とネタバレについてで、既にあちこちでいろんな意見が交わされているようなので今更なのですが、書き手として、あるいは読み手としての両方の立場からちょっと考えてみました。

まず、書き手としてですが、私にとってはネット書評はありがたい存在です。その存在すら知られないケシ粒作家としては。本の内容以前に、まず存在することを知ってもらわなけばスタート台にすら立てないのです。出版側で宣伝も販促もしていませんし、刷り数は少ないですから書店で手にとって……は無理。ネット書店でも、無名の新人の本をいきなり買おうという剛胆なお客さんは数少ないでしょう。
ですから、私の場合ネットが唯一人目に触れるメディアなのです。

次に読み手としてですが、これもありがたいです。なにしろ出版される本の数が多すぎ、一人ではとうていチェックできません。いままで手を出していなかったジャンル、知らなかった作家さんの本を思いもかけずに知ることもあります。書評サイトで知らなければ一生読まずに終わった本で楽しませてもらったこともあります。なにより私は書評サイトさんを回っていろんな本の感想を読むのが好きなのです。自分では気づかなかったものの見方、感じ方に触れられるからです。同じ本を読んで、「あ、こんな読み方も出来るんだ!」というのも楽しい。既知の作家さんの本しか買うことが出来なかったら、こんな寂しいことはないではないですか。
事前の情報が少ないほど楽しめる、というご意見もあるようですが、《存在する》という情報がなければ知りようがありません。好きになれるかもしれない本がこの世のどこかに存在するのに、それを知らずに一生知らずに過ごすなんて、不幸せなことではないですか。読者さんも、読まれない本も。

そういえば学校を出たてのころ、本好きの友人と「面白かった?」「次貸して!」「○○がステキだった!」などとやっていたことを思い出します。互いに5.6冊はバッグに忍ばせていて会えば感想会と交換会でした。だから皆カバンが大きかった……(^^ゞ
今はもうカバンを本で膨らませて友達と会うことはありませんが、私にとって書評サイトさんはその替わりの役割を果たしてくれているのです。

さて、ここまではネット書評のよい点について上げましたが問題なこともあります。やり玉に挙がっている《ネタバレ》です。
何を持って《ネタバレ》とするかは人それぞれだと思いますが、ミステリーでは一番問題が大きいですね。誰が犯人か。誰が死ぬか。恋愛がメインの話では誰と誰が恋愛を成就するか、など。これらを書くことは明らかに公序良俗に反する行為で、『ネタバレがあります』と警告しても書くべきではないと思います。

こういった物語の根幹に関わらないネタについては――あくまで私の感じ方ですが――ある程度書いてあっても良いのではと思います。というか、知りたいです。例えばその物語が恋愛メインなのか、SFなのか、ミステリーなのか、ファンタジーなのか。かつてはレーベルである程度推測できました。でも、ことライトノベルに関してはそのすべてが入っているのですから購入前に知ることは難しいわけです。素材やテーマについてもある程度の情報があれば本を選ぶ手助けになります。好きな素材を扱っていれば初顔の作家さんの作品でも手が伸びるでしょう。(私は妖怪とか妖精という単語に敏感に反応するため、『昭和の妖怪』をタイトル買いしそうになってしまったことが……昭和の政治家についての本でした……^_^;) 

問題は、人目に触れる場所に物語の核に関わるネタバレを書いてしまうことです。これは『感想』ではなく『あらすじ』を書いてしまうことに問題の根があるように思います。『あらすじ』ではなく『感想』を。『感想』が書きにくいなら『印象』でも構いません。その本を読んで、どんな印象を受けたか。どんな感情を抱いたか。楽しくなった、心が温かくなった、悲しかった、可笑しかった、無常感に包まれた……これならネタバレは起きません。まだ本を読んでいない方には関心を抱かせ、読んだ方とはその気持ちを分かち合えると思うのです。本は読まれた時に初めて完成するもの。読んだ読者さんの数だけ物語があって良いのです。
16:05  |  ひとりごと  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2005'12.18 (Sun)

16冊目。

読了本の山が16冊に……。
積読が少なくなってきたのでAmazonでポチ……あああ〜〜。

人様の本を読むと良いところばかり目に付き、自分のを見ると悪いところばかりが気になります。判っているから仕事中はあまり読まないようにしていたんですが……反動ってやつでしょうか……(^.^;)。とりあえず、目の前の雑誌ゲラを何とかしなければ……。
12:44  |  ひとりごと  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005'12.17 (Sat)

15冊。

仕事が進みません。たまには気分転換した方がいいのかも……と積読の山に手を伸ばしたのが運の尽き。左の積読を読み終えたら右側へ積み……とやっていたら右側の本の山が15冊になってました……。我ながらちょっとどうかと思います……。
22:14  |  ひとりごと  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005'12.11 (Sun)

キャラクターの関係性。

秋口に次作のプロットでうんうん唸っていたとき担当さんから「キャラクターの関係性が一番大事ですから」と言われました。う〜ん、言われてみればそうなんですよね。本を読む時はこのキャラクターがどうなるのか、とか、この人とこの人の関係はどう変るのかとかが気になるんですよね。あーまた大事なことを忘れていた〜と思って、それでその時考えていたプロットはかなり方向転換したのです。角度でいうと35度くらい?(笑)

それより少し前、漫画家のYさんとお会いしたときにわたしの小説のキャラ配置の特徴が分からない、と言われたことがあります。キャラ配置の特徴? そういえば意識していなかったけど……と、思ってよくよく考えてみたら、ありました。今まで発表した全作品に共通するキャラ配置。ものによってはテーマに絡んでるのもあり。実を言うとそれは多くのライトノベルではあまり重要視されない関係で、自分でもちょっと意外でした。そのキャラ配置は何かというと……ナイショです。ふふふ〜。

ただ、その関係性が一番強く出ているのは文庫化されていない二作(《汝の隣人を愛すがごとく》と《天使を盗んだ男》)だと思うので、《ラノン》と《裏庭》だけでは分からないかも。次作にも、たぶんそのキャラ配置がちょっと出ると思います。それはまだ先の話ですが。
18:50  |  ひとりごと  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005'10.11 (Tue)

三歩進んで。

二歩下がる……を、実践中……。

こんなことではアカン〜〜〜と思いつつ、書いて消し、書いて消し。すごく描きたいネタなのに、それだからか……うまくいかんことです。もう少ししちてんばっとーしてきます……。

今年はなんの間違いでか三冊も本が出てしまったので筆が速いと誤解されるかも知れませんが、これはデビューから四年分の貯蓄を一気に放出したからで……本当はとろいのです……。
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2005'10.04 (Tue)

反省。

ライトノベルではキャラクターが一番大事、ということは解っているし、ついこの間もそんなネットでそんな話をしたばかりなのにまたそれを忘れて暴走してしまいましたよ……。解ってはいるんですが、つい設定設定ガジェットガジェット……とやってしまうのですよねえ……妄想大爆発して収拾のつかないことに……。
18:52  |  ひとりごと  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005'08.17 (Wed)

『ライトノベル』と『少女小説』

『ライトノベル』という言葉は数年前から使われ出し、今ではかなりの市民権を得ているようです。これ以前には『ヤングアダルト』が使われていたのですが、これは内輪だけの言葉で一般にはあまり浸透しませんでした。『アダルト』という言葉に「18禁」のニュアンスがあり、『ヤングアダルト』とはいったい何をさすのか門外漢には判りにくかったのも確かです。その点『ライトノベル』は明快でした。『ライトノベル』という名が付けられたことでライトノベルそのものが内輪のものでなくなり、広く世間に知られるようになったとも考えられるのです。
その結果起こった『ライトノベル』評論本ブームはなんだか80年代の少女マンガ評論ブームを彷彿とします。当時、批評家たちは未知の大陸『少女マンガ』を発見して狂喜乱舞したわけですが、元々そこに棲んでいた少女マンガ・ネイティブにとっては発見でも何でもなかったのでした。
19:52  |  ひとりごと  |  TB(2)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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