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2006. 07. 07  
まいじゃーさんで見つけた話題↓
http://maijar.org/?q=node/408

小説を読むときに「文章」をそのまま想起しながら読むか、映像を思い浮かべながら読むか、という話です。ちょっと面白いな~と思ったので。

私は……と考えてみたら「映像」派ですね。うちの母は物凄まじいほどの速読なのですが、彼女は文面を逐一追わずともイメージが想起されるので、極端な話見開きページのうち3行ずつ読めば話が分かると言います。私も割とそうです。だから場面のイメージが想起されにくいタイプの小説だと途端に読むのが遅くなります。また、文章そのものを楽しむタイプの小説の場合、この読み方は非常にモッタイナイので、やっぱりちまちま味わって読むことになり、結果的に遅くなります。(この「好きな速さで読める」というのも本の醍醐味だと思うのですが)。

私の場合小説を読んだとき一番強くイメージされるのは情景で、人物の外見については比較的曖昧です。その代わり脳内音声はハッキリ流れます。だから一度読んだ作品が映像化されたときに違和感を覚えるのは外見よりもむしろ声です。また、「朗読」はいかな名優によるものであっても許容できません。読書という純粋快楽に他人の声という余計な夾雑物が混入することを脳が許容しないのです。言語は脳内で直接情報に変換されねばならず、朗読は1分も我慢できないというのが正直なところ。だから音声ブックなど以ての外です(外国語は別)。よく子供に読み聞かせをすると本好きになると言う人がいますが、ちょっと疑問に思ってます。うちの親は読み聞かせなどしなかったし、親の親もしませんでした。本についての主な教育的指導は「読むな!」でしたが、現在のこの体たらくです(^_^;)

書き方も人それぞれのようですが、私の場合は小説を書くときにその場のイメージが固まらないと書きにくいです。登場人物がいまどういう場所にいるか、これが固まっていないとどうにも書けない。だから場面ごとに登場人物の目の届く範囲、これをイメージする。何が見えるか? 何が聞こえるか? 何の匂いがするか? など具体的な情景が固まったら一気に書き下ろします。脳内映像をカメラがパンするイメージです。このとき、私の脳は個々の文章そのものよりも文章の流れとリズムの方を重視しているようです。言語野よりも視覚野と大脳辺縁系を使っている感じ。(人物の心象を情景に仮託する場合はちょっと話が違ってきて、むしろ観念的な文章になりますが)。

キャラクターの外見については情景ほどは気になりませんが、書き始める前に設定書に身体的特徴を記載してあとで混乱がないようにします。
本文を書くときには外見についてはきっちり書き込まず、「遊び」を持たせるようにしています。人の好みはそれぞれで、千差万別だからです。これは小説の強みで、映像メディアではイメージは固定されてしまいますが、言語メディアでは「世界一の美人」と書けば読者にとって一番の美人になるわけです。私が書いてるのは少女向けレーベルなので、ホントはもう少し外見描写をした方がいいのですが……(^_^;) 出来ればイメージを固定しない、抽象的な表現で美形を描けるといいな~と思います。なかなか難しいですが……。


ちょっと話は飛びますが……。

【小説】というものはそもそも『言語のみによって構築された芸術』です。脳内で小説が伝えるイメージを喚起するのはつまるところ【言語】なのです。【言語】が【情報】に、そして【思考】に変わる。チョムスキー臨界とか言うヤツですね。つまり、人間が言語思考する生物であるということと、【小説】というメディアの成立には密接に関係があるのではないかということです。言語によって構築されているが故に、小説は互いに孤立した脳と脳を直接結ぶ外部デバイスに成りうるのではないか。映像メディアがこれほど発達した現代にあっても小説という形態が無くならなのは、文字情報というものが意識と思考にダイレクトに接触するからではないかと思うわけです…………って、自分で何を書いてるのか分からなくなってきた…………。

まあ本読みにとっては文章を読むという行為自体が快感の源である、ということは自明の理であって、言語が脳内で「情報」ーー映像にしろ、言語思考にしろーーに変換されるときに快楽を生み出すんじゃないかと思うんですが。

なんか「映像派」「文章派」という最初の話題からズレた上、えらく観念的な話になってしまいましたね…………(汗)

ここに書いているのはほとんど私の妄想なのでお気になさらずに……(^_^;)「




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Comment
おそらく
自分は文章→文章派なのかなと。多少は映像化したりもしますが…。ライトノベルなんかだと、イラストが多いので人物なんかは映像化しやすくはありますね。今、丁度アシモフの『わたしはロボット』を読んでいるのですが、その中で『堂々めぐり』『理性』『あの兎をつかまえろ』の三作で主役を張っているグレゴリー・パウエルとマイク・ドノヴァンの二人の区別が…。文章ではグレゴリー・パウエルはパウエルと、マイク・ドノヴァンはドノヴァンと表記されているのに、会話ではお互いにグレッグ、マイクと呼び合っているのです!卑怯ではないですか?(笑)。これが漫画だったら一発で解るのに…。もしくは名前が日本名だったら、後2~3人登場人物が増えても対応出来たかも…。それにしても少なっ!(笑)。
えっと、話が逸れましたが、以上の事から文章→文章派なのかなと。
アシモフは。
確かに映像化しにくいですね~。
キャラに関してはほとんど区別が付かないというか……でも未来都市の様子なんかは(勝手にですが)映像化してますね……。
どうも私の映像化は人物より背景が主みたいです。そこにカメラが置いてあってこっち側から覗いている感じ(^_^;)
なるほど
ん~、この話題は面白い、というか興味深いですよね。
ちなみに私の場合も、読む時は文章→映像化タイプ。でもって書く場合は映像→文章化、なことが多いです。(心理描写とかは後で、その映像にあったのを考える、というパターンが多いです^^;)

で、映像は実写版風のが多いです(音声付。笑)。なぜに<風>なのかといえば、実写版の中に、アニメ風の風貌のキャラが必ずいるから(笑;)
人物の外見も比較的細かなところまで実写風でイメージしてるので、だからお気に入りの作品が映画化されるとキャスティングに関しては結構うるさくなるという…(笑;)

>本読みにとっては文章を読むという行為自体が快感の源
…そうなんですよね~(笑;)
ブログやサイトの文章を読む、ということ自体も快感だったりいたします(^^ゞ 
実写風……(笑)
私もそうかも……(^_^;) 実写3Dの人間をイメージするのって情報量が多すぎて難しいんですよ。でなければ実在の役者さんに似ちゃうとか。風景は実写の方が楽ですよね。

>本読みにとっては文章を読むという行為自体が快感の源
昔よく部屋にあった百科事典読んでましたよー(^_^;) 
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プロフィール

Riri Shimada

  • Author:Riri Shimada
  • 万年駆け出しのファンタジー小説家。湿った日陰や本棚の隅っこでほそぼそ生きてます。
    ウィングス小説大賞出身。入選作は「霧の日にはラノンが視える」ですが、「裏庭で影がまどろむ昼下がり」が2001年11月10日発売の小説ウィングス秋号に先に掲載されたのでこちらが実質デビュー作。
    好きなものはケルトと妖怪と動物と怪獣。
公式サイト 
新・よこしまです。

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